
突然ですが皆さん、
「MARVEL」ってご存知ですか?
そうです。あのマーベルです。
ご存知の方は「MARVEL」についてどこまで説明できますか?
「う〜んスパイダーマンとかの会社で〜」
「アメコミの会社で映画がなんかつながってるよね」
「MCUは全部見てる!」
などなど
今でこそ、「アベンジャーズ」や「MCU」で
世界的人気を博し、巷で”聞いたことない”人はいないほど有名な
アメコミ界の雄「MARVEL」ですが
その成り立ちやいち会社としての歴史、これまで苦難を
完璧に把握している方はそれほど多くはないでしょう!
「アベンジャーズ/エンドゲーム」で
「アバター」、「タイタニック」を抜き
現在、世界歴代映画興行収入で1位を獲った「MARVEL」ですが
(世界で一番見られている=人気の映画とも言えます。)
学校でいじめられていたピーターパーカーや、
テロ軍に拉致されたアイアンマンのように
やはり何事も始まりがあり、山あり谷ありの連続なのです。
今回はそんな「MARVEL/マーベル」の歴史やこれまでの軌跡を語っている本
本書を過去の歴史をメインにまとめました!
→「MARVEL」について詳しく知りたい方!
→マーベルの歴史が気になるけど本を読む時間がない方!
→いち大企業の苦悩と成功を実感したい方!
この記事をご覧いただけば
明日から家族や友人に「MARVELってさ〜」と
少なくとも20分は話せて自慢できるほど、詳しくなれます。
それでは、未だかつてない成功を遂げた
「MARVEL」の歴史について見ていきましょう!
CHAPTER1:全ては1軒の家から始まった
最初のスーパーヒーロー
今ではその名を轟かせる映画会社「MARVEL/マーベル」
しかし全てはニューヨークのブルックリンのある少年
マーティン・グッドマンから物語は始まるのです。
グッドマンは幼少期から自宅で新聞記事などを切り抜いてまとめており、
出版人としての頭角を出していました。
学校を中退後、アメリカ全土を旅した彼はある出版社の職を手にし、当時流行っていた雑誌の出版に専念します。
そして、1938年に他出版社で
コミック最初のスーパーヒーローである「スーパーマン」が登場しました。
ビジネスマンとして非常に優秀であったグッドマンは
たちまち人気となったヒーローコミックの流れに乗るため、
タイムリー・コミックス社を設立。
そこから出版されたのが『マーベル・コミック』でした。
そこで登場したヒーローが「サブマリナー」と「ヒューマン・トーチ」。
そう、なんとマーベル史上一番最初に登場したヒーローは
スパイダーマンやアイアンマンでもなく
水中に暮らす王国の王子サブマリナーと
炎を身にまとったヒューマン・トーチ(※後にファンタスティック・フォーにも登場)
だったんですね!

またその後、
DCコミックスの「スーパーマン」のような
絶対的なスーパーヒーローの存在がなかったグッドマンたちは
それに対抗するため生み出したのが「キャプテン・アメリカ」なんです!
(なるほどスーパーマンを相手にしているのも今では理解できる)
スタンリーの登場
そして、1940年11月にある社員が痩せこけたティーンエイジャーを週8ドルで雇うことになるのですが、
そのティーンエイジャーこそが、
この先75年間、マーベルの顔として活躍する最重要人物のスタンリーだったのです。

雑用から何まで全てをこなした彼は、その才能を買われ、
わずか1年足らずの経験で編集長に抜擢されます。
しかしその後、数々のコミックを出版するも戦争や時代の流れ、情勢もあいまって
コミックの人気が急落。
グッドマンはスタンリー以外の全社員の解雇を命じます。
徐々にコミックの売り上げが停滞し、話題に上がることもなく
スタンリーは当時、自分が描くものに自身が持てなかったと語っているほど。
業界の暗黒時代が訪れます。
CHAPTER2:新しいヒーローを求めて
初のスーパーヒーローチーム

自身のスランプ、そして業界の悪化もあり
完全に出版業界から出ることまで決めていたスタンリーでしたが、
腹を決めて社長グッドマンの部屋に行くと、
「ジャスティス・リーグのようなヒーローチームを作り出せないか?」と熱く提案されたという。
「好きなコミックを書いても失うものはないんじゃない?」と妻に諭されたスタンリーは、
何日ものキャラクターやアイデアを書き留め、ついにこれだ!と思えるチームを作る。
そうそれがあの「ファンタスティック・フォー」なのです!

そしてこれがたちまち大ヒット!
スタンリーの下に初めてファンレターが届いたのもこの時だったそうです!
マーベル・メソッド
また、現在映画で活躍しているキャラクターの多くは
1961年から1967年のこの間に誕生したと言われていますが、
スタンリーはキャラクターを思いつくとまずそれを紙に書いて、アーティストに伝える。
そのアーティストがキャラクターをどのように見せるかを考え、ストーリーを練り込み、
他スタッフが各コマにセリフや色付けを行ったそうです。
スタッフが一致団結したこの流れ作業は
「マーベル・メソッド」として後に知られることになります!
今日、キャラクターはいったい誰が作り出したのかと問題に上がりますが、
このマーベル・メソッドからもわかるように
明確な答えはなく、皆が全員で作り出したものなんですね!
スパイダーマンの登場

すでに社会の常識を打ち壊していたスタンリーは
当時の社長グッドマンにきっぱり反対されるも
(蜘蛛男なんて誰が好き好んで読むのか、とのこと)
密かに「スパイダーマン」のストーリーをコミックに挟み込んだところ
大変な人気を博し、当時のマーベルを代表するキャラクターになりました!
流れに乗ったスタンリーは、
さらに多くのキャラクターを作り上げ、
「X-メン」や「アイアンマン」、「ドクターストレンジ」なども登場させたのです。
スタンリー社長と業績悪化
新しいことに挑戦して、コミックの可能性を広げること
にやりがいを感じていたスタンリーは、
マーティン・グッドマンが退いた後、出版社の社長に昇進。
マーベルを次の段階へ進めようとするも、
再びコミック業界の売上が低迷。歯止めがかからず
スタンリーはわずか2年で社長職を解任されます。
誰もコミックを買わなくなりました。
斜陽産業になりつつあると、みんなわかっていました。
1980年を迎える頃には、もう会社を飛び出して、食べていける仕事を探すしかありませんでした。
出典:p59「MARVEL 倒産から逆転No.1となった映画会社の知られざる秘密」
新たなキャラクターやストーリーを手がけても売り上げが伸びなかった
マーベルが考えだしたのが、キャラクターを使った知的財産の利用でした。
マーベルは自社のキャラクターのライセンス契約を玩具メーカーやエンターテイメント関係会社と結ぶことで利益を上げようとしたのです。
(後のSONYのスパイダーマン所有権などの問題に発展)
そしてスタンリーはあらゆるキャラをテレビやドラマで押し出そうとしました。
ただ、映画業界はテレビに売り込むよりも難しかったとのこと。
当時、スーパーヒーローを題材にした映画がなく、またコミックと同じような形で実写化することが技術的に難しかったそうです。
ドクター・ストレンジやヒューマン・トーチ、X-メンの実写映画の制作が検討されるも
何一つ実現することはありませんでした。
マーベルの買収
そんな中、野球カードの収集がブームとなり、
同時にヴィンテージのコミックにも火が付くことに。
コミックの売上が徐々に上がっていったマーベルは
大手玩具メーカーのマテル社との契約に成功。
キャラクターグッズの販売によって多くの利益がもたらされました。
しかしながら、それもつかの間、経営が立ちいかなくなったマーベルはなんと
ニューワールド・ピクチャーズという会社に買収されてしまうのです。
CHAPTER3:止まらない経営危機
買収、権利、そして失敗
マーベルの買収は悪いニュースばかりではなく、
ニューワールドに買収されたことで、
マーベルはついに映画業界との繋がりが築けました。
ただ、ニューワールドのオーナーたちはコミックについて何一つ知識がなかったため
マーベルのキャラクターをまるで違うものにしてしまいました。
(キャプテン・アメリカを検察官にしてしまうなど)
またキャラクターの権利を使って商品を売ることしか考えていなかった
ニューワールドの社員たち。会社の業績がみるみる悪化し
後に全社まとめて別の会社に売却してしまいます。
その後、マーベルはまるでピンボール・マシンに放り込まれた玉のように
様々な企業に買収・合併を余儀なくされます。
ジョージ・ルーカスとの映画製作

その間もマーベルは映画製作にこだわりました。
あの「スターウォーズ」シリーズ監督のジョージ・ルーカスを制作に向かえ、
映画を公開するも大失敗。
経済的に苦しい状況に追い込まれたルーカスは、
立ち上げたばかりのコンピューター・グラフィックの会社を売却します。
後にその会社をスティーブ・ジョブズが買い上げたことにより
あのピクサー・アニメーション・スタジオにまで成長するとは
(後にトイストーリーやカーズ、モンスターズインクなどを輩出)
知る由もありませんでした。。。

破産と合併
その後マーベルは、当時小さな玩具会社であったトイ・ビズ社との契約により
小さな成功を重ね、映画製作を進めます。
トイ・ビズ社のアヴィ・アラッドとマーベルのスタンリーが制作において意気投合し
連続テレビ番組や、実写映画化契約を交わすも
何一つとして完成することはなく、社長が株主から提訴されたこともあり
マーベルは1996年に破産申請を行います。

マーベルのその後をめぐる闘争は厳しく、終わりが見えないものでした。
各オーナーがマーベルの支配権をめぐり
キャラクターの権利や株式などで利益を奪い取ろうとする中、
トイ・ビズのオーナーであるアイザック・パルムッターが
そのような状況下でもマーベルのキャラクターのポテンシャルを信じ
銀行関係者を取りまとめ提案。
そして1998年、マーベルとトイ・ビズが合併。
「マーベル・エンターテイメント・グループ」へと進化を遂げ、
実質マーベルは誰の下にも属することなく、自由にキャラクター達を
扱う権利を得たのでした。
CHAPTER4:ついにハリウッドへ
思わぬスマッシュ・ヒット

ここからの経緯は、何かなじみのあるものかと思われます!
独立したとはいえ、まだ資金的にも余裕のなかったマーベルは、
なんとかキャラクターのライセンス契約で切り売りし、
そして1998年映画「ブレイド」が公開され、予想以上の大ヒット!
ここで初めて、マーベルのキャラクターには何かあると
映画業界に認識されたように思います。
出典:p114「MARVEL 倒産から逆転No.1となった映画会社の知られざる秘密」
と、アラッドは語りました。
ケヴィン・ファイギの登場
ブレイド公開後、マーベルはさらに「X-メン」の撮影を始めます。
そしてその撮影時、制作に携わっていたローレン・シュラー・ドナーが
(ローレン・シュラー・ドナー:ハリウッドで最も成功したプロデューサーの一人で、X-メンや映画デッドプールを手がける)
ある20代のアシスタントを連れてきました。
このアシスタントこそがケヴィン・ファイギ
後にマーベルを世界1へと導く最重要人物なのでした。

コミックの異常な知識量と映画業界への熱意を買われたケヴィンは
映画X-メンの制作に加担。映画はまたしても大ヒットを記録します。
サム・ライミ版スパイダーマン
同時に映画業界でも変革が起こりつつあり、
コミックを映画にしたいと本気で考える者が出てきました。
こうしたコミック世代の1人であるサム・ライミは
特にスパイダーマンの大ファンであり、複数の映画をすでに手掛けていた彼に
アドバイスは必要ありませんでした。
脚本を書きあげ、撮影に入り
2004年に映画「スパイダーマン」が公開。

これまでの記録を塗り替えるほどの興行収入をたたき上げ、
誰もがヒーロー映画はいける、大きな利益を生み出せると認めた瞬間でした!
映画冒頭マーベルのロゴ
「スパイダーマン」の空前の大ヒットにもかかわらず、
制作元のソニーとのライセンス契約によりマーベルには、
ほんのわずかな利益しか残りませんでした。
(CHAPTER2のスタンリー社長と業績悪化を参照)
契約改善に動くも、ソニーはまるで
スパイダーマンは自分達のものであるというような顔をしており、
対抗策を練るため、マーベルはロゴを打ち出すアニメーション映像を制作。

こうしてコミックをめくるイメージから始まるアニメーション映像が
全てのマーベルヒーロー映画の冒頭で使われるようになりました!
普段何気ないと思っていたあの冒頭も、こういう深い理由があったんですね、、
そして2004年、ソニーとマーベルは和解。
両社は詳細を明らかにしていませんが、
ソニーはスパイダーマンはマーベルのキャラクターであることを認めました。
スタンリーのカメオ出演
代表アラッドがこうしたキャラクターのライセンス契約に変えずりまわっている中、
スタンリーの役割は徐々に減り続けていました。
映画製作でキャラクターたちとその世界についてアドバイスすることもありましたが、
契約締結や制作の場に就くことはもはやなくなってしまい、
それに不満を感じたスタンリーはマーベル相手に訴訟を起こします。
後にこの訴訟は
カーネルサンダースがケンタッキー・フライドチキンを訴えたようなものだと表現されています。
この騒動は最終的に、ディズニーがマーベルを買収したことで決着し、
これによりスタンリーは以後2018年に没するまで
すべてのマーベル映画にカメオ出演することになります。
彼がカメオ出演していた背景にはこういうプチ騒動があったのは意外ですね(笑)
自分たちで制作
「スパイダーマン」の成功後、
「X-メン2」や「デアデビル」、「ハルク」、「ブレイド2」、「ファンタスティック・フォー」など
数多くの映画が公開され、成功を収めたものも少なくはありませんでした。
がしかし、収益のほとんどは配給会社やライセンス契約している会社に搾り取られてしまい、
マーベルの手元にはほとんど残らなかったため、
マーベルは制作会社に頼らず、独自で映画の制作を行うことを決断。
資金を調達し、ここに「マーベル・エンターテイメント」が誕生しました!
CHAPTER5:アイアンマンにすべてを賭ける

自分達で制作すると決めた以上、ファンの期待は裏切ることが出来ず
またこれまで積み上げたマーベルのブランドもあることから
まさに背水の陣。彼らに失敗は許されない状況でした。
そこで最初に出すべき答えが、どのスーパーヒーローの映画を出すかということでした。
皆さんはなぜマーベル制作の第一作目が「アイアンマン」なのかご存知でしょうか?
ここまでお読みになった方々なら、その選考方法の理解も容易いことでしょう。
マーベルは昔からキャラクターの関連商品(コミック、そしてアクションフィギュア)で
売上を上げてきたことを考え、
子供たちを集め、どのキャラクターの玩具で遊びたいか、アンケートを取ったのです。
そして出た結果が「アイアンマン」でした。
当時、映画監督として経験が十分ではなかったジョン・ファブローを監督に置き、
ロバート・ダウニー・ジュニア、グウィネス・パルトロを迎え映画を製作。
公開後1週間で、予想されていたアメリカ国内の興行収入に到達し
「スパイダーマン」についで2番目のメガヒットを記録しました。
その後のマーベル

その後のマーベルは、皆さんも記憶に新しいかと思われます!
2009年にウォルト・ディズニー社がマーベルエンターテイメント社を傘下に。
その際ディズニーは約400億ドル、
日本円に換算すると約4000億円を現金と株式でマーベルに支払ったそうです!
やはり天下のディズニーは最強ですね。
その後、「アイアンマン」のポストクレジットシーンに
サミュエル・L・ジャクソン演じるニック・フューリーを
おまけで登場させたことをきっかけに、ネット上であれこれ議論されていることを知った
ケヴィン・ファイギは、
「今後のすべての映画をつなぎ合わせることができる」と思ったそうです!
そう、おまけで入れたたった数分の映像が
後に「MCU/マーベル・シネマティック・ユニバース」を生み出し
「アベンジャーズ/エンドゲーム」を世界一の映画に導いたんですね!!
まとめ

マーベル映画21作品の総計は、
「ハリー・ポッター」「ジェームズ・ボンド」「ロード・オブ・ザ・リング」などの
シリーズをはるかに上回り、「スター・ウォーズ」のほぼ2倍となる、
映画史上最も高い興行収入を稼ぎ出したシリーズへと成長しました。
今後も複数の作品の公開・制作が予定され、ファンの注目を集め続けています。

さて、いかがだったでしょうか?
少し長丁場となりましたが、
マーベルが歩んできた壮絶な失敗と成功
ニューヨークの古雑誌から始まった約80年の歴史すべてを
感じることのできる本でした。
ここまでお読みになった皆様も
少なからずこのマーベルについての理解が深まり
いち映画会社としてではなく、
壮大な数百にも及ぶのキャラクターの人生として
捉えていただくことができるのではないでしょうか?
今回はここまで。
それではまた次の映画でお会いしましょう!
コメント